N島自動車にて

N島自動車での思い出はいろいろとある。

まずは’オープン’のト◇タ2000GT。
これは映画、’007’で日本ロケに使われた物である。(浜ミエさん、きれいだったな)
ものの本によると、全部で3台制作され、1台はト◇タ博物館に、もう一台はハワイのなんとか展示場に、そしてもう一台は’行方不明’との事である。

さて、その’行方不明’の車がN島自動車にあるのだが、その理由は、というと・・・、
映画の撮影が終了した後、ADさんらしき人が「これっ、廃車にして解体してくれ。金は払わない!!」とおいて行ったそうである。
数ヵ月後、その関係者が「車は?」とたずねてきたが、オヤジは「もう、解体して捨てた」といったそうだ。

その後も、いろいろな雑誌社などが問い合わせにきたが、全て「もう、ない」と追い返している。

が、実はまだ、存在しているのである。
朽ち果てており、見るも無残な状態ではあるが、N島自動車のカープールの奥にちゃんとある。

組長は’オヤジの技術で直せばいいのに’と思っていた時期がある。
でもオヤジは「これを直して世の中に出しても、社会の為に良くないんだ。これで金儲けを考える奴がいる!」と言った。
当時、組長は理解出来なかったが、今では少し分かる気がする様である。


つぎの思い出、これは’ある事件’である。
N島自動車の所在地は横浜ス○○アムの脇である。
’繁華街’というよりも、どちらかというと’ドヤ街’にある。
プータロー共が徘徊している。

その、プータローたちが、夜になると寝床を探し回る。
N自動車のカープールにもやってくる、ロックをし忘れていると’即’餌食である。
毛布、残飯、ひどいと炊飯器まで持ち込んでいる。

工員として雇われている人たちは、オヤジが’保護監察官’ということもあり、気が荒いやつが多い。

工員がロックを忘れる→プータローが住み着く→車を汚す→オヤジに見つかる→工員、怒られる→工員プータローを殴る→プータローおまわりに泣きつく→おまわり、オヤジに注意→工員、怒られる→プータローまた殴られる
となってしまう。

そうこうしたある日のことである。
車を移動しようとカープールに行った。
ある一台がプータローにやられている。(まだ寝ている)
ある工員が言った「しまった、やられた!!またこいつだ!!」
ドアを開け、引きずり出そうとした、その時である。
「こいつ!冷たい!!!!」
いくら、車の中といっても冬は寒い。
凍死していたのである。

警察が来て事情聴取である。
普段の行動もあるので、工員達にもあらぬ疑いが掛かってくる。
「いくら俺達だって、そこまではやらねーよ!!!」
検死の結果、シロというのが分かった。


あと、一番の’思い出’といったら’ミッドシップ・ミ×ージュ’の製作であろう。

ある日、オヤジが言い出した。
’ル$ー5ターボ’って知ってるか?
「ああ、あのFFユニットをチューンして後席部分に押し込んだってやつですか?」
「そう、うちでもつくっちゃお!!」
「つくっちゃお、って言ったって・・・・」

それっから、すぐ作業は始まった。
図面などはひかないのである。
フロント回りの板金整備解説書から基本となるピポットの座標を読み取り、リアはタイヤ位置を基準に置いて行く。

当然、フロアなどはぶった切る!
切って繋げてまた切って・・である。

同時期に、車雑誌’オプション’というので、’シ×ィ・ターボ’をミッドシップにという企画があり、そちらも製作されていた。
(雑誌取材もあり、組長も写真に写った’車の下にもぐっている状態の足’だが・・)

たしか、’ミッドシップ・ミ×ージュ’は2ヶ月くらいで作りあげた様に思う。

いろいろなスペシャル部品を作った。
買ってくることは出来ない、売ってはいないからである。

あまり詳細を書くことはやめよう。
とにかくこの時、組長は大変貴重であり、有意義な勉強をすることが出来たのであった。

2004年8月24日