同居
組長は、親と同居して来ている。
ただ、オヤジは今から3年前に他界しているので実質、母親と住んでいる事になる。
母親も痴呆が始まり、時々、組長が分からなくなる。
組長は別エリアでも書いているように、兄弟はいない。
ということで、同居はやむおえないものである(と思う)。
若い頃から’いつか親は見ていかねばならない’と、ある程度は考えていた。
’親が横浜から離れることはないだろう’と思い、職も横浜に探した。
また、独立をし’就労地を自分で決定できるようにした理由’のひとつでもある。
一応組長は、結婚もしているが’相手’への確認項目でもあった。
親の’人生の終焉には同席してやろう’と思っていたのは事実である。
ただ、オヤジの’終焉’の最後には同席出来なかった。
ちょうど、三河地区の業務が開始された時期であり、受け入れされて間もなくで、連絡が入ったときにすばやく動けなかったのである。
ここで’うらみ節’を言うつもりは無い。
ただ’自分で決めていた事’が守れなかったのは残念であった。
話を元に戻そう。
同居するのであれば、なるべく早目がいいと思う。
人間、だんだんと動けなくなるものである。
(親が)若いうちに同居すれば、家事分担も考えられる。
動けなくなってからでの同居では、分担どころではないのだ。
連れ合いも言っている。
「若い頃、子供を見てもらったのを覚えているから、今、見ることが出来る」
子供達も生まれた時から一緒なので’当たり前’の様に生活している。
数年前、連れ合いの親が遠方に移転した。
連れ合いは言った。
「これで負担が軽くなる」
全部で4人も私見切れない、が正直な意見、との事。
親に対する思いは、男性、女性で少し違うようだ。
連れ合いから聞いた話であるが
近所での井戸端会議でも「○○さんの親、来たんですって」
しばらくすると「見切れないんで施設ですって」
最近の女性はこのような事をよく言うみたいである。
「動けなくなったら同居ね」
そんなのある訳無い(出来る訳無い)と思う。
組長には女の子はいないから、少なくともこの要件は無い。
また、それ以前に組長は「同居はしたくない」と思っている。
自分の立場を子供には味合わせたくない、といった所であろうか。
まあ、このあたりも今後、変化して行く事になるであろう。
2004年8月1日