始動

さて、オイルも入れ、始動である。
’ガッタコン、ガッタコン’かからない!
500回はキックをしたであろうか。
じぇんじぇんかからないのである。
プスッくらい言えばいいものを、何も言わないのだ。
「ふーみゅ!!」
(この後もえんえんキックである。沢村忠志「キックの鬼」である、知っているかな?)

やむおえず、翌日、友人の兄ちゃんに見てもらう。
兄ちゃん曰く「高いよー!!お前、金、払えるんだろーな??!」
実際、いじりだすと「ポイント、めちゃくちゃじゃん!!タイミング、あれ??・・・」その他沢山である。

ほとんどバラバラにされてしまった。
兄ちゃんが再度、組み立ててくれ、各部の調整もしてくれた。
「洗浄以外の工賃、全額かかるぞー、ほんと、高いぞー」と脅かされた。

まあ、完成に漕ぎ着けて、兄ちゃんのキック一発「ブルーン」である。
兄ちゃんがテスト走行に出て行った。
組長は兄ちゃんが’神様’に見えてしまったのである。
誰よりも尊敬すべき人、と言う存在である。
実際は金は払わなかった。
(数年後、その兄ちゃんは障害事件を起こし’刑務所暮らし’というのを聞いた。最後に会ったのは10年ほど前であろうか、シャブ漬けの状態で廃人同様であった。)

数分で兄ちゃんは戻ってきた。
組長の宝物第一号が手に入った瞬間である。
それっからは、毎日行動は’カブの乗り回し’である。
近くにある原っぱというか、整地されかけの空き地を走り回るのである。
(組長の自宅近所にある、現在の狩○インターの計画地が’コース’であった)

バイクが走るには、ガソリンが必要である。(チンピラ兄ちゃんも言ってはいたが・・・・・)
オヤジの車が家にあるときに灯油ポンプでこっそりと抜いて使うのだ。
オヤジの車が無いときには、近所の車からである。
そのころの車にはロックなどついていない、いい時代だった。
当時の組長宅の周りの車は「最近、やけに燃費が悪くなったなあ」ではなかったのではなかろうか。

最初のうちは、ボコボコ転んだ。あたりまえである。
擦り傷だらけである。
今、考えると’よく骨折しなかったものだ’と思えてならない。

2004年7月31日