スキー

組長にも’幼児期’はあった(そりゃー、そーだろ!!)

体が小さく(今も小さいが・・)、学年ごとに並んでいる時でも「お前、こっちじゃねーぞ!」などと言われていた。
組長が思うに、子供の頃、体が小さい奴の方が’気が強い’ように思う。
同級生との体力差があるが、当然喧嘩は同級生とになる。
(当たり前の話だ、下級生をいじめてどーするんだよ!)
体力的にかなわない奴にも、かかって行かなければならない時もある。

組長は幼稚園の時以降、同じ地域に住み続けているので、いまだにいたずら仲間といっしょである。
子供時代、小さかった奴は、いまでも気が強いようである。

子供の頃は、メンコ、ビー玉、ベーゴマなどが、普段の遊びであった。
組長の年齢以上の人たちの、一般的な人間が経験するものであり、駄菓子屋三昧であった。
小学校高学年でようやっと’ライダー・スナック’についている’カード’の収集という遊びが始まったようであり、年代の壁というものが多少、感じられる。

さて、表題に戻ろう。
東京オリ×ピックで、一山あてているオヤジ、そこそこの金はもっていたらしい。
まあ、自称’江戸っ子’なので(定義上、全然ちがうのだが・・)「宵越しの銭は持たねえ!!」で、パッパッと使ってしまったのではあるが・・・。
また、軟派氏だったらしく、当時の若者の高嶺の遊び’スキー’とやらを多少、やっていた。

オリ×ピック景気がまだ続いており、雪国からの出稼ぎ作業員も多かった。
その作業員宅を利用したり、会社の福利厚生と称して雪山に通っていた。

おかげで組長も、小学校1年生のときから連れて行かれたのだ。

最初は、「寒い!!立ってられない!!、何でこんなことするんじゃい!!」
ってな調子であったが、そこは子供、勝手に体が動くようになる。
滑れるようになると、今度はおもしろい。
鼻水を凍らせながらどんどん滑る。

組長の勝手な考え方だが、独立心の育成に「スキーは非常に良いのでは」と思う。
他にも、水泳、スケートとかもあるが、スキーは’そばについてやれない’と言うことでは天下一品である。

まあ、組長は’冬のスキー’は楽しみな物になったのであった。

2004年8月15日