オヤジの職業
組長が生まれる前から、3歳くらいまでは、建築業ということで工事現場の周辺に住居を構えるパターンであったらしい。
構えるといっても、良くてアパート、間借り、飯場の片隅、と言った形であり’家’とはいえない物である。
時代背景か、そこから現場まで通うのであるが、よく組長をおぶって行っていたようである。
オヤジも組長と同じ性格で、自分勝手だったらしく、他の現場員には「子供同伴禁止!!」と言っていたらしい。
話が前後してしまうがオヤジの仕事をちょっとだけ書いておこう。
大手建築会社(今で言うゼネコンだな)から’ちょっと面倒くさい仕事’を請け負う会社に所属しており、受託した各現場の取りまとめ役をしていたようだ。
面倒くさい仕事とは「近隣の苦情がうるさい」とか「突貫で!!」とか「穴を掘ったら何か出てきた現場」とかである。
後年、他の人から聞いた話ではあるが近隣がうるさい場合、その家の玄関に、夜中ダンプが突っ込んだ、とかいう聞いた。
また、現場から人骨が出ていたとか、遺跡跡みたい、とかもあったようだ。
今では、社会的問題であり、工事ストップとしなければならないが、当時は無理な話である。
使用人についても、常勤者は5~6人であり、他数十名は東京では山谷、横浜では寿町にマイクロバスで行き、集めていたようである。
職人との思い出がある。
現場で怪我をすると、当然休ませる。
自宅など、皆、所有していないので飯場でゴロゴロしている。
そこに組長が遊んでいたときのことである。
職「ぼく、船でも見に行こうかー」
組「わーい、行く行く」
職「じゃあ、いこー」
(無事に行って帰ってくる)
組「ただいまー、お船、いっぱいいたよー」
母「そう、よかったねー。○○さんすいませーん」
父「ありがとー、苦労かけたなー」
職「・・・・・・」
組「お船、競争してたよー」
父「てめー、競艇にいったなー!!(怒)」
職人はオヤジにボコボコにされて、再度病院に行かなければならなかった。
オリンピックの時は非常に儲かったらしい。
翌年、当時のオヤジの年齢では劇的にはやく、マイホームというのを持つことができた。
大阪万博では「太陽の塔、枠組み、大変だったろうなあ」とか言い出す。
ディズニーランドにつれてくと「シンデレラ城はコンクリだが、他の建物はは鉄骨+木造だな」とか「あんた、どこを見てるんじゃ!!」みたいな性格であった。
まあこれも、職業病という部分であり、組長にも多少は遺伝していると思われる。
2004年8月1日